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残日録

日々の出来事や思ったことをひたすら綴ってます。気が向いたら、コメントとかどうぞ。

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Waco/Dallas/Arlingtonへの旅行

◆ ケネディ暗殺現場&日本人が出場するメジャーリーグの試合を観ようということで、ヒューストンから車で約4時間のダラス近郊の旅を妻が妻の父親にアメリカをもっと楽しんでもらおうと計画して、さらに、友人とウェイコの動物園に行くになり、盛りだくさんな旅行になりました。詳細は妻がブログにいつものように記録を残してくれると思うので、自分はさわりだけ。


◆ まずは、ウェイコの動物園。動物園はいろいろと行ってきたけれど、ここはおもしろかった。一緒に行ったその友人夫婦、そして、妻ともに言っていたのはディスプレーの仕方が上手だとのこと。蛇足ではあるけれど、ダラスで泊まったホテルの人によれば、彼が小学生3年生のときは、それはそれはひどい動物園で有名だったそうで。今は、見違えるようになったとか。一体何年前の話でしょうか。娘は魚の水槽が気に入ったようで、なかなか離れず、Fun Fish Factsを指でなぞって何度も何度も読み直してました。


◆ そして、夕食で、ダラスにある某有名お蕎麦屋さんへ。噂では短パン、Tシャツのような格好では入店を断られるとのこと。うちはもちろん娘を連れて行ったけど、娘が騒がしかったので、迷惑をかけてしまい、マネジャーと思しき人には、終始迷惑そうな表情を向けられたけど、サーブしてくれた店員さんは優しかったです。でも、娘にはこういうお店はちょっと早かったな。こういうところでも、駄々をこねず、きちんとしていられるようになるまでは。少しずついろいろとわかるようになってきたので、これからですね。

◆ 翌日は、子ども向けの水族館へ。ダウンタウンの南東の観覧車もある遊園地のすぐ近くです。子どもが飽きてしまわないいい大きさで見せるものにもテーマがあり、子どもの教育を考えた構成になってました。石油エンジニアの自分としては、スミマセンと謝りたくなる水槽もありました(大汗)。


◆ 時間がちょっと余ったので、同じ公園内にあった、蝶々がいる施設へ。水族館に行く前に前を通って妻が気になったらしい。蝶々については妻がブログに書くと思うので、自分は代わりに展示されていたゴキブリの写真を!といいたいところだけど、誰も見たくないと思うのでのせません。

◆ その後は、ケネディの暗殺現場へ。テキサス内で、アメリカ人が唯一観光で訪れる場所なのでしょうか、6年ほど前に訪れた時よりもさらに観光客で一杯でした。そのせいもあり、The Sixth Floor Museumという博物館は入りたい人で行列。チケットを買う列に30分ちょっと並んだ挙句、チケットを今買っても中に入れてあげられるのは2時間半後だよと言われ、泣く泣く諦めることに。どうやらネットで時間も指定してチケットを買えば問題がないよう。妻にネットで買わなくていいのと何度も聞かれたのに、前回の経験で大丈夫と思ってた自分の大失敗(反省)。義理の父が日本から楽しみにしていたというのに・・・。余談ではあるけれど、駐車場は、博物館の駐車場で7ドル払うよりも、建物の西側にある駐車場の方が2ドル安かったです。参考までに。

◆ そして、最後のイベント、レンジャーズとマリナーズの試合へ。開幕戦ということで、所属選手およびコーチやサポートの人まで全員紹介。調整中のダルビッシュも出てきました(でも、これでもかというくらいの、ブーイングでした。給料泥棒ということなんでしょうか(汗))。もちろん、1番レフトで先発の元ヤクルトの青木もマリナーズの選手として2番目(?)に出てきました。試合はと言うと、マリナーズが1回、2回とホームランを1本ずつ打って、先制。そして、レンジャーズの打線は4回までヒットも打てずと言う展開。もしや、完全試合されるのではと思った矢先、5回、マリナーズのエラーとフォアボールで満塁に。フォアボールで押しだしで1点をもぎとると、レフト前に上がったフライがポトンと落ちるヒット。この間、2者が返り、逆転。その後、両チームとも点を取れず、ゲームセット。なんとも言えない展開でした。最後、セクションの入口でチケットをチェックしてたおじさんとなんともいえない勝利だねと共感し合う。下の写真は、満塁になったところで、マリナーズがタイムをかけたところ。


◆ オマケ的な話1。3階の席で、ベビーカーで行ったので、エスカレーターは使えず、業務にも使っているエレベーターを使ったところ、エレベーターをおばさんがオペレーションしていて、娘をみるや、「観戦は初めてかい?なら、初めて見に来た証明書がもらえるからもらいにいきんしゃい。」と言われ、ファンクラブの受付ブースにて証明書をゲット。手書きだけどきちんと娘の名前も書いてくれました。おばちゃん、ありがとう。娘のいい思い出になったよ!

◆ オマケ的な話2。各球団でイベントは多少なりとちがうようで、レンジャーズの球場での、Whataburgerのイベントはおもしろかった。大きなポテトをポテトの入れ物に入れるというもの。2人で対戦して、多く入れた方が赤いポテトをいれる権利をゲットできるっていう感じで、それをはずしても、20ドルのギフトカードがもらえたようです。赤いポテトを入れた場合の商品は・・・忘れました。


ではでは。

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ドイツ町 Fredericksburg

◆ 出張でオースティンに行く機会があり、いつも家にいてどこに行くこともできない妻の気分転換&娘の初小旅行を兼ねて、一緒に行ってきました。まあなんやかやで娘のぐずりなどで平日自分が働いている間は結局ホテルから出ることはほとんどできなかったようです。

◆ オースティンでは、観光よりも食ツアーという感じになりました。以前オースティンに住んでいたMさんからお勧めして貰った日本食屋、最近、流行っている日本食屋、夫婦そろって気に入ってるBBQ屋さん、そして、これまた最近流行っているハンバーガー屋さん。。。堪能の一言です。



◆ 滞在中、チャンスがあればと思っていたのは、名物のコウモリの集団での飛び立ちを見物すること。ちょうど日没のあたり、何万羽というコウモリが一斉に飛び立つ様はそれはそれはすごいそうで、気になっていたものの、3年前来た時はタイミングが合わず。今回も、夕食の時間と兼ね合いでなかなか・・・でも、一日だけちょうどみれました。残念ながら目の前ではなくちょっと離れた場所から。毎日同じ場所ではないんですね。写真にはうまく収められなかったけど、この目には焼き付けてきました。



◆ 仕事を終え、週末は、近郊のドイツ町、Fredericksburgへ。日本人もたくさん訪れるほど、観光地として有名な場所です。メインの通りを歩いてゆっくりといろんな店を見るのと、ワイナリーツアーに行くというのがこの町の楽しみ方みたいで、幼児がいるうちはメインの通りを楽しんできました。どの店もよかったです。職人のこだわりが感じられる家具屋さんやちょっとおしゃれな洋服が置いてあるお店、そして、こだわりの赤ちゃんのものを置いてる店などなど。どのお店の前にもベンチが置いてあって、中には、ロッキングチェアなんかも。



◆ そして、やはり、ここでも食べ物を楽しんできました。カツレツ、ソーセージどれもおしかったです。ビールもやはりうまかった。ドイツ料理はビールに合うものばかりなのは気のせい?




◆ その他にもちょっとだけ郊外にある(オースティンから向かえば、町の中心部に行く途中にある)庭園にも行ってきました。たくさんの綺麗な花が咲いていて、よかったです。お花畑の中にも入ることができて、しかも、ただ。ブルーボネットのお花畑もあるようなので、時期を探って、今度は訪れてみたいですね。

◆ オースティン近郊(1時間から2時間圏内の場所)はいろんなおもしろい街があっていいですね。ヒューストンからでも金曜日の夕方に出れば、十分週末で満喫できる距離なので、また近いうちに行きたいです。

ではでは。

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ポルトガル① ~シントラ Sintra~

仕事で海外のポルトガルの学会に行ってきました。今回は、同じ会社に勤める日本人の先輩も一家で行くということで、妻も連れて。大航海時代にスペインとポルトガルは活躍したイメージがあるけど、案外、ポルトガルってちっちゃいんですよね~:


学会自体は、首都リスボンでありました。でも、世界遺産がある(景観が文化遺産らしい)、すぐ近くの町シントラっていうところにあったので、そこへ日帰りで行ってきました。地図で見ると、近さがわかるかな?電車で30分ほどで行ける距離でした。山手線を半周するくらいだから、東京から新宿まで山手線で行く感じかな!?なんかわかりづらいぞ。。。



これがリスボン-シントラ間に乗った電車です。電車往復&シントラの観光バス乗り放題のお得チケットっていうのがあって、それを買いました。いくらか覚えてないけど、そこまで高くなかった気がします。


リスボン&シントラは、壁にタイルをつかってるところが多くて、駅の中もこんな感じできれいでした。お店でもタイルを売ってるお店があったりと、タイルは特別なものなのかなって感じたりしました。で、今、このブログを書きながら、調べたところによると、これはアズレージョ(azurejo)と呼ばれるものだということ。たしかにそんな名前が書いてあったような気がしなくもない。15世紀にスペインより入ってきた文化というから、長い歴史があるんですね。


話は戻して、シントラでの観光の話ですね。先に書いた通り、バスを使ってまわりました。といっても、乗ったのは2回ほど。せまーい道をバスで通ったので、その運転もなにやら狭い日本の道を思い出させるものでした。日帰りということで、時間がたくさんあったわけではなかったので、行く場所は有名な場所3か所に絞り、残りは路地のような場所にあったお土産屋さん街をうろちょろしました。ということで、まわった順に写真とプチコメントをつけて~:

1. Palácio Nacional da Pena (ペーナ宮殿)


1836年に女王マリア2世の旦那さんの命令で建てられた、ヨーロッパでも有名な19世紀のロマン主義を象徴とする建物だそう。色遣いが特有でした。城ではなく、宮殿であるせいか、ちょっとおしゃれな感じも出てたし。


外見もきれいでしたが、内側も壁がやっぱりちょっとおしゃれ。タイルですね~、ここでも。ここで、もう一枚:


最後に、イギリスの庭園のようにしたっていう宮殿の下の方に広がる庭園の写真を何枚か:




2. Castelo dos Mouros (ムーアの城跡)


こちらは、7~8世紀にムーア人によって作られたお城の跡です。今は廃墟となっていますが、お城だっただな~って感じはしました。日本のお城もそうだけど、城壁を登るのは大変です。日本のお城とはデザインがちがいましたが、いいものです。結構な高台にあったので、景色が抜群でした。ここは、リスボンに行くなら、ぜひ行ってもらいたいところですね。いいアングルの写真はどうにも自分たちが写っていたので、ネットで拾った画像を代わりに:


この写真を見ると、わかるかもしれませんが、見た目、ちょっと万里の長城を連想させるものがありました。高台にあるせいで、風もかなり強くみんな城にがっちりさわりながら昇り降り。それにしても、未だ残ってるていうのがすごい。日本にも7~8世紀頃の城なんて残ってるんでしょうか(その頃は城を作るっていう発想と技術がそもそもまだなかったかな。。。)。ムーア人って全然知らないけど、すごいな。ちょっと知る価値ありだな。最後に、城の一番高いところからの見晴らし(いい画像処理ソフトがなくて、ちょっと見苦しくて汚くてすみません。。。)



3. Palácio Nacional de Sintra (シントラ宮殿)


最初に見たペーナ宮殿よりもずっと先に建設された宮殿。14世紀というから、これまた歴史がある建物です。夏の離宮というから、早い話が王家の別荘(?)ですかね。なにげに全体が写った写真を撮っていなかったので、上の写真はネットで拾ったやつです(汗)しかも、ちょっと小さくしただけなのに、画像が汚くなった。。。悪しからず。行って、自分の目でみるべし。ちなみに、この宮殿の象徴的なものはふたつの煙突。あれは、実は台所です。で、これがその中からの写真:


最後に、床や瓦の写真を。床もおしゃれにしてるんですね~。





☆       ☆       ☆


最後に、おまけで、シントラで食べたランチ(豚肉の料理です。エビがのってるけど、ごろごろのってるやつはじゃがいもです。)の写真を:


路地の様子を撮った写真なんかものせようかなと思ってたけど、ここまでブログを編集して疲れたので割愛します。悪しからず。


ではでは。

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Tomballへのプチ旅行 後編

Tomball プチ旅行、後編。


Doctor's House

続いて、連れていってもらったのは、お医者さんの診療所。2部屋しかない、かなり小さなものであったけど、たくさんのものが置いてありました。いろんなはさみやら、骨折した際に足を固定するための金属やら。もちろん、診察台も(歯医者さんにあるようなもので、倒れたりできる)。専門的なことがさっぱりわからなかったのであれですが・・・。今のお医者さんが見たら、おもしろいのかもしれないです。

お医者さんになった子どものために、親が建てた診療所だったようです。当時は、お医者さんが彼しかいなかったとかで、町の人たちのみんなのお医者さんだったとか。今とちがって、ちょっとした病気でいくものでなく、重病のもののためにあったとか。

写真館

Esther Bubleyという女性カメラマンの写真を展示した写真館でした。1944年に、Tomballのオイルキャンプ(石油採掘で働く人々が住む場所のこと)の様子を収めに訪れたそうです。コンダクターのおばちゃんは、このTomballという小さな町で写真を撮るためにワシントンD.C.からはるばる来たんだと繰り返し言ってました。彼女がどれだけ有名な写真家だったのかはよくわかりませんが、察するに、相当だったんでしょう。Wikiによれば、当時、彼女は、Roy Strykerという人の下で働いていたそうです。その彼が、あのJohn Davison Rockefellerが創業した、Standard Oilの取材して、それに彼女も付き合ったようなので、その影響もあったのかもしれないですね。

Oil Camp House

さきほど書いたように、Tomballは、オイルキャンプとして有名だったようです。20世紀前半に、Humble Oil Company(ExxonMobilの前身の会社のひとつのようです)がHumbelというTomballの東にある町にて石油の採掘が盛んだったようで、そこで働いていた人々がここTomballに住居を構えていたみたいです。ここに住居を構えていたのは、きっとHumbleから近かったからだと思います。多い時には、Humbleには300以上の井戸があったそうです。

とはいいつつも、Tomballでも、石油・ガスは採れたそうで、この博物館にもあった、Oil Camp Houseの前にも、


Tomballの最初の井戸のクリスマスツリー(石油生産する際の、蛇口のようなもので、形状から、石油業界では、クリスマスツリーと呼ばれてます)が展示されてました。石油採掘権と引き換えに、Humble Oil Companyが町にはただでガスを供給していたようです。石油が採れなくなった1988年まで続いたようです。


ここで展示されていた家はHumble Oil Companyの人で、現地でマネージャーをやっていた人だそうです。その家族の人たちが全部家財一切をきちんと保管していたそうで、展示されているものは、全部使われていたものだとか。そのためか、部屋に入ると、ちょっとタイムスリップしたかのような感じ。


コア(貯留層の様子を調べるために、掘る際に岩を打ち砕くのではなく、岩をくりぬいたものです)なんかも展示されてました。これは、Shellと書いてありますが、見た目からして、きっとShale(頁岩)だと思います。当時は、垂直井が一般的だったので、単純に深さ3キロメートルを越えた深さから取ったものだと思います。

コンダクターのおばちゃんの旦那さんも自分と同じ会社に働いていたそうで、共感をもってくれたみたいで、いろんな話を聞けて楽しかったです。ここにも書いたHumbleにもぜひ行くようにと薦められました。次回は、ヒューストンの東の方に行ってみたいので、その次は、Humbleに行こうかな。

Farm Museum


この農場博物館では、農耕器具やらいろんなものが展示されてました。上の写真は、Cotton Ginと呼ばれる、木綿と種を分ける機械で、手で取り分けるというのから、かなり進歩して、早く作業が進んだとか。動力としては、馬が使われていたとおばちゃんは言っていました。服を織る機械もありました。使える人は町にはいないそうで、クリスマスくらいの時期に、実演しにやってくる人がいるって言ってました。


こんな古い洗濯機なんかも展示されてました。動力は電気ではなく、ガスだって言ってました。電気が一般的になる前は、そうだったんですね~。いや~、それはめちゃくちゃ危ない。

ログハウス


続いて、当時、多かったという、ログハウス。木と木の間がけっこう隙間があいた作りで、夏は写真の奥のようにあいた感じで使って、冬は、泥を間に埋めて、隙間風などをシャットアウトしていたそう。ちょっと原始的な感じ!?

学舎


最後に見せてもらったのは、学舎。日本の田舎のように、年齢に関係なく、ひとつの教室で教えていたようです。風通しのいい建物が多い中、この建物だけは、空気が淀んでました。当時、先生は全教科を一人が教えていたようで、大変だったみたい。しかも、年齢のちがう子たちがいるから、ひとりひとりの進捗を頭に入れてと、本当に大変な仕事だったそうで。そいつは、大変だ~。

☆       ☆       ☆

ひとまずこれで全部です。1時間40分くらいのツアーでした。これでひとりたったの$4。おばちゃん、優しく丁寧に説明してくれたので、本当に楽しかったです。大抵の博物館って、展示物の横に説明が書いてあるけど、なかなかひとつひとつ読めないですよね。ここは、逆に、それを省いて、ツアーという形にして、大体のことを説明してくれる。必要があれば、質問をしながら。なんかこっちのスタイルの方が自分に合ってます。説明を読んだ方がいいよって人もいるかもしれませんが。

さて、次はヒューストンの東の、どこの町に行こうかな。

ではでは。

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Tomballへのプチ旅行 前編

知り合いから、ヒューストンを起点にして1日でできる小旅行先を紹介した本を頂いて、さっそくその最初に書いてあった町に行ってきました。Tomballという都市です。Houstonから249で北に20分ほど上ったところにあります。うちからは40分かからないくらいでした。

そのプチ旅行でメインになった、博物館の話をちょっとだけ書きたいと思います。


まず、着くと、博物館の回り方がわからない。。。メインと思われる建物の扉にはツアーに参加したい方はベルを鳴らしてのこと。ベルをビーっと鳴らしても、ドアをガタガタやっても誰も出てこない。仕方ないと諦め、去ろうとしたところ、中からおばちゃんが出てきて、ツアーに参加できることに。2階にいるせいと、ベルがあまりうまく鳴らなかったりするせいで、なかなか訪問者に気付かないとのこと。ひとまずそのメインの建物に入り、記録簿に名前を。

名前を書いてるときに、出身地やら、仕事やらをざっくりと聞かれ、おばちゃんはどこを重点に話をしていくかとか、ツアーでの説明の仕方を決めたようだった。

リッチなお家
まずはそのメインの建物のことから説明してくれた。その建物は、ちょうどアメリカの南北戦争の頃、1860年に、フランス人のEugene Pilotさんという方が建てたとのこと。アメリカは、ご存じのように、移民の国。このTomballは、よりよい暮らしを求めてドイツからはるばるやってきた人が多い町だそうで。そんな中で、この建物を建てたEugeneさんはフランス人だったので、興味深いとのこと。たしかにね。言葉はどうだったんだろう。当時から、英語でやり取りだったのかな。アメリカにあるドイツ人町を訪れたのは今回が初めてだったので考えたこともなかったけど、やはり英語が公用語だったのか、この辺のこともちょっと知りたくなったな。

このEugene Pilotさんはかなりヒューストンにとって要人だったそうで、かの有名なSam Houston (45沿いにあるあのおっきな像になっていて、もちろん、ヒューストン名前の由来になったお方です)も、彼に会いに足しげくこの建物まで来ていたそうです。かのThomas Jeffersonともつながりが遠からずあったとのことなのでかなりの方だったのかもしれないです。かなりのお金持だったのはたしか。

このTomballは戦火の影響は受けなかったとのこと。それが理由で今でも残っているのかな。いくつか質問とかもしたかったんだけど、案外、淡々としゃっべていくおばちゃんで質問とかはあんまりできなかった。。。

そうそう、この頃の建築の特徴らしいんだけど、Dog-runと呼ばれる様式で建物が作られていた。これはどういうものかというと、入口があると、その逆サイドに出口があり、それを結ぶ廊下が一直線にあるというもの。空気がうまくまわるようにとのことで、流行っていたらしい。テキサスの暑い気候もあって、こういうのが多かったのかな。Wikiによると、19世紀、20世紀のアメリカ南部では一般的だったとのこと。さらに、天井もかなり高くなっていて、京都の建築様式を彷彿させるところもありました。

最初に、建物に入って右側にあった部屋は日本でいうところの、応接間を見せてもらいました。当時の人たちは今の人々と比べて体が小さかったとのことで、置いてある家具はみんなちっちゃかったです。今、日本の一般家庭にあるそれよりも、ちょっと小さかったかも。印象的なのは椅子の高さ。多分、20cmくらいだったと思います。当時の習慣は今と全然ちがったようで、パーティーみたいなのがあっても、女の人はしゃべってはいけなくて、おほほ的な感じで笑いながら、男の人たちの話を聞いていたそうで。皮膚を出すのもはしたないとのことで、腕はもちろんのこと、くるぶしも椅子の下に入れて隠していたとのことです(そういう理由もあって低くなってたのかもしれないですね)。

Eugineが材木屋さん(たぶん・・・)だったこともあって、木をふんだんに使ってできた建物だったので、歩いても木がぎーぎー言わない。今、資源を考えるとこんなことはできないなんて話をしたりも。すごく頑丈でした。

最初の応接間とその隣にあった部屋(ディナーを終えた後にブランデーを飲んでゆっくり過ごしたりする部屋)だけにしかないものが。一体なんでしょう?それは、暖炉です。煙突がひとつあって、くっついてはいないんだけど、ちょうど対称のような形で暖炉が。寝室などには暖炉を置くものではなかったようです。

さらに奥の部屋にはダイニングルーム。そして、その隣には、キッチン。このキッチンはのちに増築したもので、当時は、なんとかなり離れたところにあったらしいです。それはびっくりですね。火を使うせいで、かなり周りが熱くなってしまうのと、危ないということで、離れにあるのが普通だったみたいです。この後に見た、一般的な農家の家もメインの部屋にはくっついてませんでした。キッチンはいろんなおもしろいものがあって、
・テーブルの脚に2重の底がちょっと深い皿のようなものが。虫がテーブルに上ってこないようにしてた。食べ残しをねらいにくる虫退治目的で。
・バターは売っていなかったそうでで、当時使っていた牛乳をひたすら撹拌してバターを作る道具があった。
・さらに、バターは撹拌したままのものを使うのではなく、成形していた。その型は木でできていた。
・お肉をミンチにする機械が!!
・さらに、ソーセージを作るように、腸に詰め込む道具までも!
・卵はかなり貴重だったそうで、きちんと生まれた順に並べていたそうで。
・さらに、卵は貴重だったからこそ、保管する棚にはカギが!!
・最後に、ストーブ(日本でいうところの、コンロ)の温度をはかるために温度計が!!


フラッシュ禁止だったのでブレちゃってますが、この黒いの全体がストーブで、下の部分が薪を入れて火を焚く部分です。で、下の白い部分のまん中にある丸いのが温度計です。当時から、温度を調節して料理をしてたんですね。ただし、こんな進んだものはEugineさんが大金持ちだったから持っていたにちがいないとのことでしたが。

当時も住宅に関する税金が高かったとのことで、次に見せてもらったEugineさんの娘たちが使ってた部屋はかなり狭かった。6畳くらいかな!?その中に5人!!!それはアメリカの土地の広さを考えると狭いね~。部屋数や、クローゼットの数が税に関係していたから仕方ないのか。その部屋に展示で当時の典型的な建物のミニチュアが置いてあって2階がどんなふうになっているか見せもらったところ、そこは広い。一続きの部屋になってるのが普通だったそうで、それはそれは。

最後に、このEugineさんの家で見せてもらったのは夫婦のベッドルーム。部屋は広かったけど、クローゼットはちっちゃかった。当時は、そんなに服を持っていなかったんだとか。そうそう、この部屋で一番興味深かったのは、陶器の瓶。トイレは家になく(か~なり離れたところに)、夜、用を足すときは、その瓶の中に。男の人用はちょっと大きめ(笑)。朝早くに、家政婦さんがそれをトイレに捨てに行くんだとか。居ない場合は、一番幼い娘が(笑)。まっ、これは一緒にツアーに参加してたちっちゃい女の子をからかってたのかな。

教会
続いて、教会。ちっちゃな教会。先日、アメリカ人の友人の結婚式に行ってきたばかりなので、一緒にまわっていた人たちのびっくりさにちょっとだけついていくことができました。最大で110人くらいしか入れないそうで。当時の人口を考えれば、それで十分だということです。今でも結婚式とかで使ってるそうで、今夜も、結婚式の予定だそうです。

農家のお家
先にちょっと書いたように、一般的な農家のお家も。作りはリッチなお家と似てました。Dog-Runで天井が高い。そして、キッチンがメインにくっついていない。なんとなく今のアメリカ人と変わらないなと思いました。キッチンには、同じように、ソーセージを作る機械やらいろんな道具が。バターの成形をする木型はいくらか種類があったようなので、もしかしたら、オリジナルだったのかも。この家には写真の展示もありました。どうやらカメラのフィルムが残されていて、それを現像したらしいです。当時の様子をかいまみれておもしろかったです(当人たちは家族・友だちの写真を見られて嫌だったかな・・・)。


☆       ☆       ☆


一気に全部書いてしまう予定だったけど、疲れたのでまた続きは今度書きます。映画でも見てまったりしようかな。

ではでは。

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初めての結婚式。

昨日土曜日、友人S君の結婚式に参加しに日帰りでカレッジステーションへ行ってきました。人生を通して、初めての結婚式参加でした。初めての参加が、アメリカ人の結婚式になるとは。

教会で式があり(聖書がところどころ読まれ、なにがなんだかわからず…)、神父さんの講釈は、お寺のお坊さんのそれにちょっと似てると思いつつ、披露宴になるまでの時間が長いな(式が終わってからも、写真撮影&教会で自由にトーク)と感じてました(びっくりすることに披露宴開始時間は決まってませんでした。たぶん、このくらいっていう風に、披露宴会場に伝えてあったんでしょう)。

披露宴は、新郎新婦のダンスに始まり、新婦と本当さんのお父さんとダンス、母親の再婚相手とのダンス、新郎と新郎の母とのダンスと続いていき、ブッフェスタイルの夕食。その間、新郎新婦はテーブルごとに写真。それが終わったら、友人の挨拶、姉妹の挨拶、新婦の両父親の挨拶、そして、ダンスパーティーとなっていきました。ダンスは夫婦の人たちが曲に合わせて踊って、夫婦の年数が若い順にどんどん舞台から下ろされて(もちろんその時点でまだ5時間という新郎新婦も)、最後に一番夫婦生活が長いカップルが新郎新婦に夫婦生活を長く続けるコツをアドバイスしてました。あとは、フリーで流れる音楽に合わせて、好きにみんなダンスをしてました。ダンスなんてできない自分はテーブルでそれを見て、ある程度の時間がしたら去っていったのでした(最後にS君のお母さんにダンスの手ほどきをちょっぴり受けましたが・・・)。


これはウェディングケーキと一緒に出されたケーキです。寿司が上にのってるのがキーポイントだったみたいです(笑)ゴルフボールはここが披露宴会場がゴルフ場だったからでしょう。

ではでは。

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Brazos Bend State Park

天気予報とはちがって、朝起きたら、晴れてました。すでに7時を回っていたけど、急遽、Brazos Bend State Parkに行くことに。College Station時代の友人Iさんに薦めてもらって、ずっと行けていませんでした。実に、3~4年越しでした。



こんな感じで湖がいくつかあって、その湖にかなりたくさんのワニがいることで有名な公園で、実際、ワニの本当に近くまで(自己責任で触るのもオッケー)いっていいので、人気があるみたいです。テキサスは暑いので、陸で見れるのは早朝だけということです。キャンプ場もあるので楽しそうです(多分、そこまでワニは来ない!?)

地図はこちら

大きな湖が4か所ほどがあって、トレイルコースが8つほどあるみたいです。自分たちはまず一番大きな湖『Elm Park』の駐車場が一番奥にあったので、そこを目指してみました。車を降りて湖を見渡すと、一面、ハスの花。ちょっと予想外の光景が待ちかまえてました。そして、何種類かの鳥がいました(鳥の写真はきっと妻がアップするでしょう)。

その湖のまわりを歩くのは後にして、北西のトレイルコースをまずは進むことに、お昼近くになっていたせいか(着いたのは10時半ちょっと前)、暑さはもう全開で、森の中を歩いても、けっこうきつかったです。きっと二人とも軽い熱中症になっていたにちがいない。途中、キツツキ、レッドカーディナル、ハゲワシを見たり、ちっちゃい湖(?)で顔を出しているワニらしきものも見ることができました。

2時間ほど歩いて疲れ切った自分たちは湖のまわりを歩く気になれず、少し離れたところにあるnature centerを目指します。そこはまるでオアシスのように涼しい環境が待っていました。まだ生後1年というワニ(体長20cmくらいかな)を見せてもらい、かわいいなと思いつつ、大きくなると3メートル近いというのにもびっくり。ワニだけでなく、公園にいるほかの動物たちを紹介していて、こんなのもいるんだ~と感心しつつも、火照った体を冷やし、体力を回復させていったわけです。

最後に、スタッフの人にどこに行けば一番ワニを見れますかと聞いたところ、『40-acre Lake』『Elm Lake』が一番いる(『40-acre Lake』の方が見る確率がだんぜん高いそう)とのことだったので、まずは、さきほどまでいた『Elm Lake』の近くに戻ることを決意(『40-acre Lake』は公園の入り口のところにあります)。とはいいつつ、すぐ近くの湖にもいる可能性もあるよとのことだったので、そこへまず行ってみました。でも、残念ながら近くの湖は暑さよけできるような場所もなかったのでワニを見つからず。早々に切り上げ、『Elm Lake』へ。

『Elm Lake』についたら、にぎやかな集団が歩いていて、ひとまずその集団についていきながら、涼しくてワニがいそうな場所をじっと探しながら、湖のまわりを歩いていきました。途中、その集団の子どもたちが『あの泡がぶくぶくいってるところの深くにきっとワニがいるんだよ~』てなことを言ってるのを横目にして、そんな単純じゃないだろうと思い、さらに歩き進んでいくと、



ぶくぶくした泡の中からワニが登場。子どもの言うことあってるじゃん!二人ですごいじゃん、やったねと話してるうちに、ワニはまた沈んでいってしまいました。



妻いわく、「息をしに上がってくるんだね」とのこと。たしかに、そうなのかも。この後、もう一度、他の場所で同様に、ぶくぶくいってるところで現れるワニに遭遇。こりゃあ、間違いないかも。

2匹、間近で見ることができて満足したせいか、体力的に疲れたせいか、一番ワニが見られるという『40-acre Lake』には行かず、お土産屋さんにだけ寄って、帰っていたのでありました。

P. S., やっぱり熱中症にかかったのか、夜には熱が出て、うなされてました(汗)


ではでは。

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プロフィール

H N: かばでぃ(kabadeli)

11年住んだアメリカテキサス州を離れ、2017年4月よりノルウェーに駐在中。日本から遠く離れても、阪神タイガース、アストロズを熱狂的に応援しています。

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