知り合いから、ヒューストンを起点にして1日でできる小旅行先を紹介した本を頂いて、さっそくその最初に書いてあった町に行ってきました。Tomballという都市です。Houstonから249で北に20分ほど上ったところにあります。うちからは40分かからないくらいでした。
そのプチ旅行でメインになった、博物館の話をちょっとだけ書きたいと思います。
まず、着くと、博物館の回り方がわからない。。。メインと思われる建物の扉にはツアーに参加したい方はベルを鳴らしてのこと。ベルをビーっと鳴らしても、ドアをガタガタやっても誰も出てこない。仕方ないと諦め、去ろうとしたところ、中からおばちゃんが出てきて、ツアーに参加できることに。2階にいるせいと、ベルがあまりうまく鳴らなかったりするせいで、なかなか訪問者に気付かないとのこと。ひとまずそのメインの建物に入り、記録簿に名前を。
名前を書いてるときに、出身地やら、仕事やらをざっくりと聞かれ、おばちゃんはどこを重点に話をしていくかとか、ツアーでの説明の仕方を決めたようだった。
リッチなお家
まずはそのメインの建物のことから説明してくれた。その建物は、ちょうどアメリカの南北戦争の頃、1860年に、フランス人のEugene Pilotさんという方が建てたとのこと。アメリカは、ご存じのように、移民の国。このTomballは、よりよい暮らしを求めてドイツからはるばるやってきた人が多い町だそうで。そんな中で、この建物を建てたEugeneさんはフランス人だったので、興味深いとのこと。たしかにね。言葉はどうだったんだろう。当時から、英語でやり取りだったのかな。アメリカにあるドイツ人町を訪れたのは今回が初めてだったので考えたこともなかったけど、やはり英語が公用語だったのか、この辺のこともちょっと知りたくなったな。
このEugene Pilotさんはかなりヒューストンにとって要人だったそうで、かの有名なSam Houston (45沿いにあるあのおっきな像になっていて、もちろん、ヒューストン名前の由来になったお方です)も、彼に会いに足しげくこの建物まで来ていたそうです。かのThomas Jeffersonともつながりが遠からずあったとのことなのでかなりの方だったのかもしれないです。かなりのお金持だったのはたしか。
このTomballは戦火の影響は受けなかったとのこと。それが理由で今でも残っているのかな。いくつか質問とかもしたかったんだけど、案外、淡々としゃっべていくおばちゃんで質問とかはあんまりできなかった。。。
そうそう、この頃の建築の特徴らしいんだけど、Dog-runと呼ばれる様式で建物が作られていた。これはどういうものかというと、入口があると、その逆サイドに出口があり、それを結ぶ廊下が一直線にあるというもの。空気がうまくまわるようにとのことで、流行っていたらしい。テキサスの暑い気候もあって、こういうのが多かったのかな。
Wikiによると、19世紀、20世紀のアメリカ南部では一般的だったとのこと。さらに、天井もかなり高くなっていて、京都の建築様式を彷彿させるところもありました。
最初に、建物に入って右側にあった部屋は日本でいうところの、応接間を見せてもらいました。当時の人たちは今の人々と比べて体が小さかったとのことで、置いてある家具はみんなちっちゃかったです。今、日本の一般家庭にあるそれよりも、ちょっと小さかったかも。印象的なのは椅子の高さ。多分、20cmくらいだったと思います。当時の習慣は今と全然ちがったようで、パーティーみたいなのがあっても、女の人はしゃべってはいけなくて、おほほ的な感じで笑いながら、男の人たちの話を聞いていたそうで。皮膚を出すのもはしたないとのことで、腕はもちろんのこと、くるぶしも椅子の下に入れて隠していたとのことです(そういう理由もあって低くなってたのかもしれないですね)。
Eugineが材木屋さん(たぶん・・・)だったこともあって、木をふんだんに使ってできた建物だったので、歩いても木がぎーぎー言わない。今、資源を考えるとこんなことはできないなんて話をしたりも。すごく頑丈でした。
最初の応接間とその隣にあった部屋(ディナーを終えた後にブランデーを飲んでゆっくり過ごしたりする部屋)だけにしかないものが。一体なんでしょう?それは、暖炉です。煙突がひとつあって、くっついてはいないんだけど、ちょうど対称のような形で暖炉が。寝室などには暖炉を置くものではなかったようです。
さらに奥の部屋にはダイニングルーム。そして、その隣には、キッチン。このキッチンはのちに増築したもので、当時は、なんとかなり離れたところにあったらしいです。それはびっくりですね。火を使うせいで、かなり周りが熱くなってしまうのと、危ないということで、離れにあるのが普通だったみたいです。この後に見た、一般的な農家の家もメインの部屋にはくっついてませんでした。キッチンはいろんなおもしろいものがあって、
・テーブルの脚に2重の底がちょっと深い皿のようなものが。虫がテーブルに上ってこないようにしてた。食べ残しをねらいにくる虫退治目的で。
・バターは売っていなかったそうでで、当時使っていた牛乳をひたすら撹拌してバターを作る道具があった。
・さらに、バターは撹拌したままのものを使うのではなく、成形していた。その型は木でできていた。
・お肉をミンチにする機械が!!
・さらに、ソーセージを作るように、腸に詰め込む道具までも!
・卵はかなり貴重だったそうで、きちんと生まれた順に並べていたそうで。
・さらに、卵は貴重だったからこそ、保管する棚にはカギが!!
・最後に、ストーブ(日本でいうところの、コンロ)の温度をはかるために温度計が!!
フラッシュ禁止だったのでブレちゃってますが、この黒いの全体がストーブで、下の部分が薪を入れて火を焚く部分です。で、下の白い部分のまん中にある丸いのが温度計です。当時から、温度を調節して料理をしてたんですね。ただし、こんな進んだものはEugineさんが大金持ちだったから持っていたにちがいないとのことでしたが。
当時も住宅に関する税金が高かったとのことで、次に見せてもらったEugineさんの娘たちが使ってた部屋はかなり狭かった。6畳くらいかな!?その中に5人!!!それはアメリカの土地の広さを考えると狭いね~。部屋数や、クローゼットの数が税に関係していたから仕方ないのか。その部屋に展示で当時の典型的な建物のミニチュアが置いてあって2階がどんなふうになっているか見せもらったところ、そこは広い。一続きの部屋になってるのが普通だったそうで、それはそれは。
最後に、このEugineさんの家で見せてもらったのは夫婦のベッドルーム。部屋は広かったけど、クローゼットはちっちゃかった。当時は、そんなに服を持っていなかったんだとか。そうそう、この部屋で一番興味深かったのは、陶器の瓶。トイレは家になく(か~なり離れたところに)、夜、用を足すときは、その瓶の中に。男の人用はちょっと大きめ(笑)。朝早くに、家政婦さんがそれをトイレに捨てに行くんだとか。居ない場合は、一番幼い娘が(笑)。まっ、これは一緒にツアーに参加してたちっちゃい女の子をからかってたのかな。
教会
続いて、教会。ちっちゃな教会。先日、アメリカ人の友人の結婚式に行ってきたばかりなので、一緒にまわっていた人たちのびっくりさにちょっとだけついていくことができました。最大で110人くらいしか入れないそうで。当時の人口を考えれば、それで十分だということです。今でも結婚式とかで使ってるそうで、今夜も、結婚式の予定だそうです。
農家のお家
先にちょっと書いたように、一般的な農家のお家も。作りはリッチなお家と似てました。Dog-Runで天井が高い。そして、キッチンがメインにくっついていない。なんとなく今のアメリカ人と変わらないなと思いました。キッチンには、同じように、ソーセージを作る機械やらいろんな道具が。バターの成形をする木型はいくらか種類があったようなので、もしかしたら、オリジナルだったのかも。この家には写真の展示もありました。どうやらカメラのフィルムが残されていて、それを現像したらしいです。当時の様子をかいまみれておもしろかったです(当人たちは家族・友だちの写真を見られて嫌だったかな・・・)。
☆ ☆ ☆
一気に全部書いてしまう予定だったけど、疲れたのでまた続きは今度書きます。映画でも見てまったりしようかな。
ではでは。
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