◆ 日本一時帰国中、新聞で読んだ記事によれば、現在、日本の公共の英語教育は小学校5年生がスタートだそう。いつからかは覚えていないけれど、それを小学3年生から前倒しにしようということになったそうだ。
◆ 小学校5年生からの英語教育を始めたことで、どれだけの成果が上がったのかはわからないけれど、国語の読解力はここ数年落ちているそうだ。ふと自分にふと沸いてきた疑問は、この英語教育に新たに時間を割くようになった分、どの教科の時間を減らしているんだろうか。きっと授業全体の時間を増やすというのは困難であろうから、なにかを減らしているはず。もしかしたら、算数、理科、社会といった時間を平均に減らしているのかもしれない。それをどう正当化しているのだろう。自分のような、同時並行でいくつものことを完璧にはできない子にはきっとよりついていくのがより困難になっているんだろうな。
◆ ここ数年、アメリカで出会った駐在やら留学をしてきている若い子たちの英語はすべからくうまい。彼らと比べたら、自分は英語を全くしゃべることができず、アメリカに来てしまったなというのが正直なところ。学校での英語教育の成果か、プラスアルファでやってきた英語の塾の成果であるのか、どちらかはわからないけれど、十分すぎる結果が出ている気がする。もちろん、こういう子たちは゛特別な”教育を受けてきた子、もしくは、個人的にがんばってきた子なのかもしれないけれど。
◆ こども全員が身につけていないといけない英語力は一体どのくらいなのか。みんながみんなぺらぺらにしゃべれて、書けて、読めてというのが日本社会全体として必要なのか。早い時期から英語をやって、学校の授業についていけない子たちが出てくるのでは?宿題に困ったとき、家で親が教えることができるのか?より一層、できる子とできない子の格差を広げているのでは?日本政府はこの辺のことを毎日毎日必死に考えているんだろう。難しい問題ですね。
◆ 日ごろ、こんなことを考えていないけど、成田空港に向かう車中時間があり、新聞の記事を片っ端から読んだので、ちょっとだけだけど、考えたのでした。
ではでは。
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